毎日の最後は家で癒されたい

この記事は、2020年9月12日に公開したブログのアーカイブ記事です

執筆:坂本真由(株式会社SOWAKA・代表)

思い出の場所は誰にでもあり、記憶が続く限りは思い出の場所はどんどん増えていくと思います。

「日常の場所」は、離れたり無くなったりしてから初めて”思い出の場所”になります。

時間の経過もその時間から”離れる”ことなので、”昔”のことも思い出になります。

普段暮らしている家や毎日通る道、よく行く場所などは、身近に在る限りは思い出ではなく日常です。

思いだす、「場所」の記憶

どんな場所でも、きれいとかかっこいいとかという理由ではなく、何かの記憶と結びつく限りは思い出の場所になります。

以前に地元に帰った時に、幼少期の思い出の場所にふらっと寄りました。

昔から古い機関車が公園の顔になっている公園で、今はリニューアルされ当時と印象が違っていて、見通しがよくきれいになっています。

当時は背の高い木に囲まれていて、その伸びた木が公園を暗くしていました。

夏は木陰に入りお菓子を食べたり、水道周りで水遊びをしました。

奥の方は少し薄暗く、小さい子たちは公園の手前のほうで遊び、奥の方はなんとなく大きい子たちの空間でした。

今の時代から考えると、見通しは悪くて死角が多く、公園のなかが周りからは見えにくい状態だったので、

大人は少し不安を感じるような雰囲気だったかもしれません。

ただ、その中に佇む古い機関車。

使われなくなった物独特の寂しさというか、少し不気味さもあるといえばあるような雰囲気。

公園の名前にもなっていて、ゴツくてデカくて、黒い金属の塊を感じる強い存在感を感じ、場所が少し暗かったからなのか、

今の開けた状態で見る機関車よりももっと重厚な印象が残っています。

昔は機関車の中に入ることができ、操縦席の謎のボタンやレバーを触った記憶があります。

今は入れないようですが、久しぶりにその金属の鋳物感の残る表面を見て、

重たい扉や鉄くささが想起され、

小学生よりも大きくなっってからはあまりその場所で遊ぶことはなくなっていましたが、

幼少期に体感として味わった感覚が少しだけ思い出されました。

頭だけで残っている記憶もありますが、

たまに、匂いや体感、感覚や感情も一緒に思い出される”記憶”があったりします。

そういう内容は、印象深い出来事よりもふとした日常の一コマだったり、

日常とすら意識をしていなかった、何でもない事だったりする気がします。

それが思い出されると、特をした感もあり何より自分の記憶をなぞる事が出来るので、

まだ自分は当時の感覚をなくしていないんだなと思えて嬉しくなります。

前置きが長くなりましたが、無意識の中に刷り込まれていく”体感を含めた記憶”は日常にあるのだと思いました。

どんな生活をしていても勿論人それぞれなのですが、

その繰り返される日常での体感を、少しでもその人の暮らしの充実に繋がるような、

そんな”家づくり”のお手伝いを出来るようにと思っています。

どこで日常を多く過ごすのか?

大人であれば職場、子どもなら学校や幼稚園保育園が多くなる人が多いかもしれません。

専業主夫や主婦のかたは家での時間が長いかもしれません。

重ねた時間の分は確実に無意識に蓄積されていくと思いますが、

リラックスしたり心が解きほぐれて緩やかになっている時の方が感覚への浸透が良いように感じます。

勿論仕事や学校も日常ですが、

外での緊張や失敗、疲れなどを癒せるのが家であって欲しいと思います。

家で過ごす時間がその人にとって充実したものに出来るように、

愛知県名古屋市、尾張旭市周辺で、リノベーションを通して暮らしの提案をしているSOWAKA。

会社の一員として頑張っていきます。

毎日の最後は家で癒されたい

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